サイバーセキュリティ法 – 法令名の和訳問題

「网络安全法」をどのように訳すか

「网络安全法」、いわゆる中国版サイバーセキュリティ法が6月1日に施行されて以来、様々なキーワードで検索されてくることがAnalyticsなどを見ていると分かります。しかし、今回ほど法令名の和訳に差があるケースは久しぶりではないかと思います。すなわち、「网络安全法」の和訳としてはインターネット安全法、ネット安全法、サイバーセキュリティ法の概ね3つが日本の紙面等には登場しているところ、特にインターネット安全法サイバーセキュリティ法とでは、前者ではインターネット空間を対象にしているかのような印象を与えられるなど受け取り方も大きく変わります。

こうした「法令名の和訳」の逸話については毎回セミナーで話題の一つに含んできていますが、今回ばかりは「サイバーセキュリティ法」で統一されるべきではないかと思い、意を決して(誰に何の覚悟をしているのかはさておき)比較や経緯をした上で検討しみることにします。

なお、なぜこれだけ訳語を気にするかというと、法令の名称または略称というのはそれだけで法の中身を印象付ける重要な要素である(最近の日本にもありますよね)という意義からして、翻訳者・校閲者の方などにも背景を知っておいていただきたいからでもあります。

「インターネット安全法」派と「サイバーセキュリティ法」派

冒頭に書いたように、訳は大きく二分されます。「インターネット安全法」派と「サイバーセキュリティ法」派です。なお、ここでは「セキュリティー」の長音の取り扱いは区別しないものとしています。

施行前後で日本国内で最も目にした記事では『中国のネット安全法、日本企業の9割「知らない」』(日本経済新聞5月31日電子版)がありますが、この記事は本文では「インターネット安全法」と触れている一方、引用したデロイトトーマツリスクサービス(DTCS)の報告書を見てみると、DTCS自らは報告書(「2017年6月施行の中国サイバーセキュリティ法への対応状況に関する緊急調査」)では「サイバーセキュリティ法」だと訳していて、さらに今年4月号の季刊誌でも一貫して「サイバーセキュリティ法」と訳しています。日時の前後からしてDTCSは日経に対して6月1日のレポートをリークしていると思いますが、日経は訳語はあくまで独自のものを通していたと見えます。

「インターネット」への違和感

私がまず上の記事で違和感を感じたのはサイバーセキュリティ法が必ずしもインターネットを範囲と限っていないにも係らず「インターネット」と訳したことです。

「网络」は、訳語としても、また法令の名称においてもネットワーク(Network) と訳されることが多く、ここに直訳的に「ネットワーク」を充てるのであればまだ理解できるところ、これをインターネット(互联网, The Internet)とすると適切な訳の範囲を越してしまっているのではないかと感じたわけです。確かに一般社会ではネットワークとインターネットの範囲は曖昧です。ただ、少し皆さんでもお考えいただければお分かりいただけるはずですが、必ずしもコンピュータ同士が接続し合うネットワークは全てがインターネットに接続されているものでは当然なく、その例には例えば金融機関同士が接続するネットワーク、製造業の生産管理システムのネットワークなど様々な例が挙げられます。すなわち、インターネット以外にもネットワークは存在しています。

同時に、サイバーセキュリティ法(以下特に指定していない場合には「法」)自体でも「网络」の定義をしています(第7章附則)。この用語定義の範囲はあくまでコンピュータ同士が接続されたネットワークであることのみを示していて、The Internet のみを対象していることではないことは明らかです。

网络,是指由计算机或者其他信息终端及相关设备组成的按照一定的规则和程序对信息进行收集、存储、传输、交换、处理的系统。

なお「安全」については、法令においては中国当局の公式英訳がその中身によってSafetyとSecurityの二つに分かれることが分かっており、下の通り、あえて訳すとするとSecurity(セキュリティ)となるということも分かります。この部分は難しい論点はさほどありません。

SafetyなのかSecurityなのか – セミナー資料より

その上で、今回は早い段階から所管部門は「Cybersecurity Law」を公式の英訳として使ってきました。また11月に開かれた関係者会合の中ではInternet にするかInformationにするかなどについても悩んだとの発言も聞かれました。ただ結論として仮想空間全般を対象とするものであるからCyberを用いたとのことです。

ここまでの段階で、インターネット安全法との訳が「やや法の意図する範囲とは異なる印象を与えてしまいかねない」と懸念することになります。

英訳から読み取れるのか

ところで、そもそも中国の法令の大半は「公式」英訳は出てくることがありません。それぞれの所管部門が参考英訳として配布することはありますが全体の数からすれば稀。国内に閉じた法令のケースではほぼ見たことがなく、何らかの外部サイトや中国メディアの英訳を参考にする必要があります。

辛うじて外部サイトの中でも使えるのは中国人大网(最近ほとんど更新されていないのですが)か北京大学のLawInfoChina。このオリジナル中国語版である北大法宝は登録しないとほぼ使えませんが、例えばサイバーセキュリティ法の英訳はLawInfoChinaであればこのようなかたちで表示されます。

訳語の二派

私自身は当初、上の日経の記事がSNSで多く拡散されていたことから、日経がインターネット安全法だと訳した起点なのではないかと考えていたものの、調べてみるとそのようではないことがわかりました。どうも公布の段階から「インターネット安全法」が多く採用されていたことがわかります。あれこれ書いても仕方がないので、各社がどのように訳しているかについて一覧を作りました。

メディア・事務所等 訳語の出現
アンダーソン・毛利・友常法律事務所 「ネット安全法」(CHINA LEGAL UPDATE, 2016年12月)
長島・大野・常松法律事務所 「インターネット安全法」(ニュースレター)
西村あさひ法律事務所 「インターネット安全法」(中国ニューズレター2017年2月号)
森・濱田松本法律事務所 「ネットワーク安全法」(中国最新法令-配布先限定, 2016年11月)
TMI総合法律事務所 「インターネット安全法」(TMI中国最新法令情報2016年11月号)
ジョーンズ・デイ法律事務所 「サイバーセキュリティ法」(ジョーンズ・デイ・ホワイトペーパー)
JETRO通商弘報 「インターネット安全法」(6月19日付通商弘報)
デロイトトーマツリスクサービス 「サイバーセキュリティ法」(上記本文のとおり)
日経ビジネスONLINE 「サイバーセキュリティ法」(福島香織氏執筆の記事)
CNN日本語版 「サイバーセキュリティ法」(6月2日付電子版)
みずほ銀行 「サイバーセキュリティ法」(みずほチャイナマンスリー2017年5月号)
三菱東京UFJ銀行 「サイバーセキュリティ法」(BTMU CHINA WEEKLY2017年4月12日号ではサイバーセキュリティ法のみ。2017年2月のBTMU 中国月報では括弧内でインターネット安全法とサイバーセキュリティ法を併記)
中国日本商会 「サイバーセキュリティ法」(和訳ドキュメント)

国内の主要な法律事務所の訳を比較してみたところ、「インターネット安全法」、「ネット安全法」、「ネットワーク安全法」の3つに分かれました(なお森・濱田松本法律事務所だけはWebで公開されている情報で記事等が見当たらずクライアント向けに配布されている資料を引用しています)。

ここで唯一「ネット安全法」と訳しているアンダーソン・毛利・友常法律事務所のレポートを読んでみると、おそらく法第2条、同第3条をサマライズしたと思われる箇所は「インターネット」と訳していて(原文は网络しか出てこず互联网の表現は出てきません)、どうも网络をインターネット寄りの読み方をされている様子があります。

本法は、中国国内におけるインターネットの設置、運用、使用等に関し、国家体制、社会体制等の維持を含む各種権益の保護及びインターネット関連技術の発展等を目的として制定された法令である。(※アンダーソン・毛利・友常法律事務所 CHINA LEGAL UPDATE 2016年12月16日号より引用)

対象範囲は何かで考える

「インターネット安全法」と訳された方の立場をとれば、この法律の対象は事実上「The Internet」だろうという考え方に寄られたものと考えます。その意見は私自身も同意で、ほぼ「検討すべき」対象は The Internet に集まっていることも事実です。

ただし、逆にThe Internet 以外のネットワークで何が具体的な対象になるかというと、金融機関同士の決済ネットワーク、企業等の拠点間の国際閉域網あるいはキャリアの国際通信網なども挙げられます。相対的にはThe Internet と比べてトラフィックや検討すべき課題は小さいものの、こうした「ネットワーク」も法は全て対象だといっているわけです。ですから「インターネット」ではその対象範囲が狭く受け取られかねない、「仮想空間」「Cyberspace」という、日本語にするとやや最近の日本では使わなくなった用語であるけれども、法の意図からすればそれが最も近いのではないかということを述べてきました。

本来は、网络と互联网の使い分けについて、他の中国の法令も例示した上で検討したエントリーを載せたい構想していたものの、やや時間切れであります。そうした話題はまた勉強会等ででも。

中国の法令調査

中国の法令のアップデートを追いかけるのは至難の業です。日本のように法制度が整っている国という状況とは異なり、新しい法令が次々と公表され、かつ古い法令がそのまま残っているために「実態と違うじゃん!」という話にたくさんぶつかります。私たちが取り扱うところで悩ましい法令の代表格は「商用暗号管理条例」。暗号というものの範囲が極めてあいまいなので、SSLはどうなんだ、ZIPをパスワードかけて暗号化するのはどうなんだ、という極めて初歩的なところで解釈が分かれます(ハードディスクを暗号化するソフトです、というのが対象になるというぐらいの分かりやすさならばまだよいのです)。ちなみに、法令を厳格に運用しようと思ったら、街中で売られている無線ルータやFirewallのようなVPN機能・SSL機能等を搭載している機器は売れなくなります。次に悩ましいのは、「電信条例」(日本の電気通信事業法に相当)の下にぶら下がる電信業務分類目録。過去のblog記事にも書きましたがこれは2003年が最後の分類なので、もはやクラウド時代の分類に追いついていません。そろそろ改訂版が出る頃だと思っていますが、パブコメ以降2年も音沙汰がなくなりました。ハヨシテーナ。。

法令の解釈を得るには

一般的な方法は、弁護士事務所に弁護士意見書(法律意見書)、もしくはメモランダムを頼むことです。弁護士事務所といっても色々なので、多くは渉外法律事務所と呼ばれる国際的な取引を専門にしている法律事務所に依頼することになります。正式な意見を得たい場合には弁護士意見書、解釈について弁護士の見解を把握したい程度という場合にはメモランダムということになりますが、さらに簡易的に確認したいのであればメールで見解をもらうという方法もあります。

適切な意見を得るために

弁護士意見は、これこれこういうことについて適法性を確認したいので意見書をください、といって簡単に書いてもらえるものでもありません。事業の前提が何なのか、どのようなサービスなのか、誰から仕入れていて誰に売ろうとしているのか、など様々な前提の情報が必要になります。

ところが、中国のインターネット・モバイル市場の動きが速いということもあり、日本の弁護士、もしくは中国の律師(中国の弁護士)で正確に日本と中国の両方の市場の動向や技術的なアップデートを豊富にもっていらっしゃる方というのは極めて限られています。クララオンラインの場合、日本の正社員として中国律師を採用しただけでなく、日本の大手弁護士事務所や中国の大手弁護士事務所で特にインターネット・モバイルに係るケースを多く経験されている弁護士の方と連携することにより、クライアントからの問い合わせに対してスムースに対応できるようにしています。

もう一つ、私たちが関与することによって、上に書いたようなクライアントの事業の前提情報を丁寧に整理して、専門家が理解しやすいようにコミュニケーションをとるということも行っています。私たちのように実務の現場にいて、かつ自社の事業として中国側の当局とのやり取りの経験がある者が入ることで、クライアントが直接コミュニケーションをとられるよりもスムースになるというメリットがあるのです。実際、このケースを数多く取り扱ってきました。

法律意見を取る前に理解しておいた方がよいこと

専門家の意見書は経営の重要な判断の一材料です。法令について専門家の意見を確認するという手続き自体、重要な意思決定の場合には特におすすめします。とはいえ、冒頭に書いたように中国の法令は日本と比べて曖昧な範囲が多く、また当局への照会をしても(匿名・実名の両方の手段がありえます)、地方によって答えが違うということも珍しくありません。それが中国です。結果、書き方によっては、意見書には保守的な表現でしか書いていただけないといことも実際にあります。そうするとクライアントからは「他社でやっているところがあるじゃん!」「あそこは同じようにやっているのに、うちはこの意見書を受け取ると経営がGOしてくれないよ!」という反応になることもあります。

明確になっている法令ならばまだ良いでしょう。「赤信号はわたってはいけない」と書いてあれば、赤信号で渡った時の責任はすべて自分にあります。ちなみに、中国の道路交通安全法第26条にも赤信号は渡ってはならないときちんと書いてあります。ところが、曖昧な法令についての解釈については、保守的な意見に寄らざるを得ません。適法・違法と明確にされている範囲が狭かったり、その範囲の定義が曖昧だったりするためです。このことは、特に事前に理解しておいた方がよいでしょう。

私たちは直接法令に対するアドバイスを行うことは出来ませんが、このような場合、直近の動向、同業他社の状況、中央テレビなどの報道姿勢(最近事件としてこのような報道姿勢が多いなとか。だいたいその分野への関心が高まっていることを示している。)、当局とのコミュニケーションなどを通じて、実務に近い立場での助言を提供するように心がけるようにしています。

それでは。