日帰り北京や深夜便移動

事情が変わった日中間の深夜便

2015年に書いた「上海から日本への深夜移動の巻」は、その後上海や北京からの深夜便フライトが続々と追加されたためにこの手段を使う必要はなくなり、上海からであればピーチやANAの深夜便、北京からであれば海南航空の最終便が「夜に移動できるフライト」の世の定番になりつつあります。(定番とはいえそれをいつも利用する予定を組むのはイヤですが)

羽田には深夜になると天津からのOKAIR、上海からの上海航空、春秋航空、そして朝方にはNH968という、最近お世話になることが多い深夜便が同じく上海から帰ってきます。

もっとも、いつの間にか南京発静岡行きのフライトは、南京発7時20分は変わりませんが色々と変わっていました。まず週2便から1便に、さらに静岡着が以前の10時40分ではなく11時40分になり、しかもどうやら今後のダイヤでは8時55分発12時40分着、というさらに後ろ倒しの設定だそう。こうなると、これにお世話に成る日は来なさそうです。

日帰りの利便性。

いずれにしても、日帰り北京、日帰り上海という予定が以前と比べて実現性が高くなりました。日帰りはどのエアラインも高めの航空券しかありませんが、予定が詰まっていれば仕方なきもの。

いつかはこれがあるだろうと思っていた中、今まで日帰り台北、日帰り台南(台北乗り継ぎで飛行機でいけた時代)、日帰りソウル、までは経験していましたが、今回新たに日帰り北京が加わりました。なにも嬉しくはありません。

日帰りと深夜便

ますば日帰り。朝は羽田から北京。今回はこれがシップチェンジで2時間以上遅れ出鼻くじかれ、帰りは北京から羽田の海南航空。預託手荷物なし、ABTC、最近北京で列が並ぶようになった税関は「ごめんごめん無いからスルー」でほぼ歩きを止めることなく出ることができ実質降機から15分。往路のdelayさえなければ実質6時間ぐらいは北京にいられます。

北京からの帰りは、CA183(21:30羽田着)かHU7919(01:00+1羽田着)が遅めでですが、HU7919はdailyではないのと、CA183は17:20北京発なので実質市内には14時半頃までしかいられません。つまり日帰り北京を実現しようとするとHU7919でないとほぼ意味がないのです。

そしてもう一つ。上海経由で日本へ飛ぶ方法。これだと機内にいる間に朝になります。。

もともとはCA183で帰ろうとしましたが会議が長引いてしまい、しかもHU7919が満席(ビジネスまで…)で、代替案としてCA1883(20:20PEK-22:30PVG)で上海に飛び、NH968で羽田に飛ぶ方法。夕方の北京空港は混むのでCA1883より後にするのはおすすめできません。一方、上海-羽田はこの時期、風も強いので浦東を上がって羽田に着くまではぴったり2時間。国内線か!、と。

オルタネート

北京を遅めに出る方法で東京に着く方法が他にないのかと言われると、台北から北京まで曜日によってCIかエバーが飛んでいまして、これでPEK-TPEをこなし、そのあと朝方のピーチ(daily)かタイガーエア台湾に乗ってくると9時前には羽田に帰ってくることができます。今回は残席なしで出来ませんでした。しかも朝9時前羽田では予定にも間に合わない。

なお、桃園の夜はかなり寂しいので(これもそういえばやった)夏も冬も、つまり春や秋でなければ決してこの移動はおすすめできません。桃園で一晩あかすとき、ベンチもあいてなくて床に横なって寝たときには「わたしゃなにしてるんだろう」と一瞬だけ考えました。

というのを機内で書いて羽田に朝5時前に着きましたので、これから帰って少しだけ寝ます。

羽田空港を一望できる場所

サクララウンジ・スカイビュー

サクララウンジ・スカイビュー

羽田の国際線ターミナルの拡張工事が進み、3月から新たにラウンジが出来ました。特にJALの新しいラウンジはターミナルビルの5階にあり、ここから見ると羽田のターミナルが障害物なしに一望できます。目の前には34L/16Rの滑走路があり、朝の時間帯にはトラフィックが頻繁にありますし、これからまさに飛び立とうとする機体が準備を整えて搭乗を待っています。

今週は北京オフィスで勤務し、週の後半は内モンゴルのフフホトまで出張してくる予定です。(内モンゴルといっても、実は北京から近いのですよ。上空に上がってしまえば実質1時間ぐらいのフライトです)

3月11日の地震直後の羽田空港の管制塔

地震があった日の当日の羽田空港のタワーの録音を全て録っていて、一部は抜き出して聴いていましたが、mp3化して時間をかけて聴き続け、コールサインやミッションのメモを取りながら当日のやり取りを確認しました。ようやく、地震から数時間の分についてあらかた聴き終えたので、ポイントだけ整理しておきます。ここからは、Runway 16R/34Lの管制ですので羽田の118.10MHzの話しです。(例によって電波法にひっかからない範囲で少しボカして書きます)

  • ヘリでコールサインを聞き取れたのが16機。聞き取れなかったのが数機。
  • 管制圏に入ってきたのは地震直後から警察ヘリ(警視庁、神奈川県警)、消防ヘリ(東京消防庁、川崎消防)、それから取材ヘリが多かったように思います。特にFire FightingのMissionが最初は多かったあと警察が増えたような印象です。
  • 東京ヘリポートから離陸したもの、新聞社などで羽田のNovemberエリアから離陸するものの両方が確認できます。(江東フライトサービスは別に録音していますがまだ時間が無くて聴いていません)
  • 報道では羽田空港はすぐに閉鎖されたとなっていましたが、実際には22へのアプローチが続いたあと34Rで上げて34Lにおろすようになり、直後の1時間ぐらいの範囲では、34LへはAirDoやANA、JAL、スカイマークの国内線の到着機、国際線ではSQやThai、JALの到着機がいました。34Rは聴いていませんので離陸機はわかりません。到着機が続いていたことやウィンドシアが1500-2000フィートで報告されていたこともあり、118.10の席の方は相当大変そうでした。
  • 降りてきたものの地上のハンドリングが混乱し、エプロン待機で乗客が地上に降りるのに相当時間がかかったようなフライトもあったようです(カンパニーが一部だけ録音されていました)。また当日の東京コントロールを聴いておられた方はご存知の通り、その時間の直後の日本の上空は、ちょうど夕方という国際線が大量に降りてき始める時間帯に向け、羽田・成田・仙台の閉鎖、横田、中部の満杯の状況で燃料を失いかける機体が続出し、そこでも大混乱が発生していました。
  • 大変な混乱だったため、コールサインが聞き取りにくい機もありました。管制官が聞きなおす場面は通常よりはるかに多かったと思います。
  • 警察ヘリと消防ヘリについては、トランスポンダーを設定することで管制圏にある程度の時間留まることを許された機体もいました。
  • 15時すぎだったかに来た二回目の大きな余震の際には、到着機が降りてくるにも関わらず余震が発生したためゴーアラウンドが見込まれ、一方で管制圏にいる消防ヘリの高度が高かったため、ゴーアラウンドする機材と衝突しないよう高度を下げて管制圏に出るように女性の管制官が揺れる管制塔の中から大声で叫んで安全を確保する指示を出していました。これを聴いて、よくもあの一本高い、大揺れだっただろう管制塔の上でさすが的確な指示を出しておられると改めてプロの仕事を感じたところです。(管制塔は115メートルの高さです)
  • 地震直後から1時間は、管制圏への進入は警察や消防、海保を優先して、取材ヘリは後回しにされる傾向がありました。許可しないというケースもありました。特に台場あたりの取材が最初は多かったように思います。
  • 調整席に電話が繋がらないという報告も複数ありました。
  • ヘリについてはとにかく高度を下げるよう指示される機が多かった印象です。
  • 川崎消防が川崎市の調査を、またJR東海の子会社のヘリが2機、東海道新幹線の線路チェックに飛んでいました。東海道新幹線の線路チェックをヘリで上空からも行っているというのは初めて知りました。
  • 1機だけ、ある民間会社のヘリが何をしていたのかミッション不明。レジからみても特に報道ヘリでもなさそうでした。

所沢の東京コントロールや東北地方の管制官の方たちのメッセージを見たり、特に仙台空港の管制塔にいた方の中で津波ぎりぎりに逃げて助かった話しなどを見ると、とにかく当日も含め、またそれ以降のオペレーションがいかに大変だったかを改めて強く感じます。仙台空港の3000メートルの滑走路をこの短期間で利用できるようにした米軍や日本のミッションにも感激しましたし、山形の管制を24時間でまわしているチームにも感激しています。何も書けませんが、報道されないあらゆる世界においても、ものすごく多くの人が頑張っているということだけは意識しておきたいと思っています。