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3月11日の地震直後の羽田空港の管制塔

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地震があった日の当日の羽田空港のタワーの録音を全て録っていて、一部は抜き出して聴いていましたが、mp3化して時間をかけて聴き続け、コールサインやミッションのメモを取りながら当日のやり取りを確認しました。ようやく、地震から数時間の分についてあらかた聴き終えたので、ポイントだけ整理しておきます。ここからは、Runway 16R/34Lの管制ですので羽田の118.10MHzの話しです。(例によって電波法にひっかからない範囲で少しボカして書きます)

  • ヘリでコールサインを聞き取れたのが16機。聞き取れなかったのが数機。
  • 管制圏に入ってきたのは地震直後から警察ヘリ(警視庁、神奈川県警)、消防ヘリ(東京消防庁、川崎消防)、それから取材ヘリが多かったように思います。特にFire FightingのMissionが最初は多かったあと警察が増えたような印象です。
  • 東京ヘリポートから離陸したもの、新聞社などで羽田のNovemberエリアから離陸するものの両方が確認できます。(江東フライトサービスは別に録音していますがまだ時間が無くて聴いていません)
  • 報道では羽田空港はすぐに閉鎖されたとなっていましたが、実際には22へのアプローチが続いたあと34Rで上げて34Lにおろすようになり、直後の1時間ぐらいの範囲では、34LへはAirDoやANA、JAL、スカイマークの国内線の到着機、国際線ではSQやThai、JALの到着機がいました。34Rは聴いていませんので離陸機はわかりません。到着機が続いていたことやウィンドシアが1500-2000フィートで報告されていたこともあり、118.10の席の方は相当大変そうでした。
  • 降りてきたものの地上のハンドリングが混乱し、エプロン待機で乗客が地上に降りるのに相当時間がかかったようなフライトもあったようです(カンパニーが一部だけ録音されていました)。また当日の東京コントロールを聴いておられた方はご存知の通り、その時間の直後の日本の上空は、ちょうど夕方という国際線が大量に降りてき始める時間帯に向け、羽田・成田・仙台の閉鎖、横田、中部の満杯の状況で燃料を失いかける機体が続出し、そこでも大混乱が発生していました。
  • 大変な混乱だったため、コールサインが聞き取りにくい機もありました。管制官が聞きなおす場面は通常よりはるかに多かったと思います。
  • 警察ヘリと消防ヘリについては、トランスポンダーを設定することで管制圏にある程度の時間留まることを許された機体もいました。
  • 15時すぎだったかに来た二回目の大きな余震の際には、到着機が降りてくるにも関わらず余震が発生したためゴーアラウンドが見込まれ、一方で管制圏にいる消防ヘリの高度が高かったため、ゴーアラウンドする機材と衝突しないよう高度を下げて管制圏に出るように女性の管制官が揺れる管制塔の中から大声で叫んで安全を確保する指示を出していました。これを聴いて、よくもあの一本高い、大揺れだっただろう管制塔の上でさすが的確な指示を出しておられると改めてプロの仕事を感じたところです。(管制塔は115メートルの高さです)
  • 地震直後から1時間は、管制圏への進入は警察や消防、海保を優先して、取材ヘリは後回しにされる傾向がありました。許可しないというケースもありました。特に台場あたりの取材が最初は多かったように思います。
  • 調整席に電話が繋がらないという報告も複数ありました。
  • ヘリについてはとにかく高度を下げるよう指示される機が多かった印象です。
  • 川崎消防が川崎市の調査を、またJR東海の子会社のヘリが2機、東海道新幹線の線路チェックに飛んでいました。東海道新幹線の線路チェックをヘリで上空からも行っているというのは初めて知りました。
  • 1機だけ、ある民間会社のヘリが何をしていたのかミッション不明。レジからみても特に報道ヘリでもなさそうでした。

所沢の東京コントロールや東北地方の管制官の方たちのメッセージを見たり、特に仙台空港の管制塔にいた方の中で津波ぎりぎりに逃げて助かった話しなどを見ると、とにかく当日も含め、またそれ以降のオペレーションがいかに大変だったかを改めて強く感じます。仙台空港の3000メートルの滑走路をこの短期間で利用できるようにした米軍や日本のミッションにも感激しましたし、山形の管制を24時間でまわしているチームにも感激しています。何も書けませんが、報道されないあらゆる世界においても、ものすごく多くの人が頑張っているということだけは意識しておきたいと思っています。

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